DIARY 2003年2月


2月1日 MAYA MAXXさんのこと

昼もなく夜もなくベッドにうずくまる毎日。ぼんやりしながらテレビをつけた。NHK『美と出会う』、今日は『画家・MAYA MAXX - 対話から絵が生まれる』。
 僕はブレーク前のMAYA MAXXさんと一緒にCD-ROM作品を作ったことがあります。95年の終わりから96年ごろだったかな。新宿の古いマンションの一室に隠って、彼女が凄い勢いで書き上げる絵を片っ端から拾ってはスキャンして、アニメーションを作った。音楽の話をいっぱいした。お酒をいっぱい飲んだ。

彼女のプロフィールを見ると、大学を出てから絵に出会うまでにものすごいブランクがあります。この頃の彼女は今の僕みたいだった。ベッドに沈みこんで、このまま死ぬのかなあと思ってたんだって。でもある日突然絵を描くことに決めて、飛び込んだ画材屋さんに基礎から教わった。僕が彼女に出会った頃は、午前中にビル清掃のバイトをして夜に絵を描いてました。
 作品が出来上がってから、もう一度だけ彼女に会ったことがある。「今年こそはいけそうな気がするんだよね」と言って笑っていた。僕もそんな気がした。実際それからすぐに、街中が彼女の絵で溢れかえった。

ひとつだけ自慢。彼女がテレビの中で使っていたダーマトグラフっていう画材。あれはもともと僕が出版関係のバイトで使ってたの。芯が柔らかくて写真の製版指定をする時に便利なんです。ある時『赤い色鉛筆ない? 』って言われて差し出したら、『これいいねえ! 』と大喜びしてそこいら中に落書きしてた。彼女はもう僕のことを忘れてるかも知れないけど、ダーマトグラフは彼女の一部になった。
 あの頃の僕は本当に何もわかってなかったな。今だったら彼女の苦悩が少しは理解できるつもり。もう一度会ってみたい。とりあえずベッドから出て、無性にウクレレを弾きたくなった。今月は動くよ。たぶん動く。

2月5日 無謀なナンパ

実家の修繕のための打ち合わせ。家庭の事情や経済的事情が複雑に絡み合い、なかなか話がまとまらない。
 帰りがけに父方の祖母宅に顔を出し、ミーちゃんとしばし戯れる。前にも書いたが、ミーちゃんは僕にしかなつかない雑種キャットであります。いい表情を撮ろうとカメラを向けたら、後ろで祖母が余計な気を利かせてミーちゃんの名を呼ぶので、警戒した表情しか撮れなかった。祖母は飼い猫が自分になついてないことに気づいていないのだろうか。ミーちゃん、今度は二人っきりで、ね。

あまりにも疲れたのですぐに帰るつもりだったのだが、何かに導かれるように渋谷タワレコへ。キューバコーナーの試聴機の前でY.A.氏に遭遇。お喋りしているうちにY.Y.「あゆみと呼んで!」嬢があらわれ、さらに絶妙なタイミングでダンディなカメラマンF.T.「ふくちゃんと呼んで!」氏から食事のお誘いが。こりゃみんなで飲むしかないでしょ。
 ハワイアンテイストのお店で、なぜかオリオンビールを飲みながら談笑。男女間に横たわるトラブルドウォーターについて大人の意見を拝聴する。でお店の人がやたらとゆでダコを薦めて来た。塩茹でしてオリーブオイルであえただけのゆでダコ、確かに非常に旨かった。

お疲れ気味Y.A.氏とほろ酔い気味のY.Y.嬢はここでバイバイ。F.T.氏と二人でカフェに向かう。マンハッタンレコードの裏側、野良猫が我が物顔で出入りするお気に入りのカフェはもう潰れて無かった。無念。しかし野良猫は相変らず我が物顔で闊歩してました。別のカフェに移って男子っぽくお喋り。音楽と僕たちについて、とか。とか。とか。詳細は日記に書かないように釘を刺されたので書かないでおきます (たいしたこた話してない) 。
 お店も閉まってマツキヨの辺りを歩いていたら、街ゆく女の子に「ねえねえお台場ってどっち? 連れてってくれない?」と話し掛ける男性に遭遇した。彼なりのナンパなのだろうか。ちょっと無理がないか (渋谷とお台場はとっても離れているのです) 。

2月6日 だから今、握手をしよう

ぐだぐだで病院。寝て過ごす生活を容認された。今は自己防衛のために睡眠が必要な状態なんだって。ハルシオンのパッケージが微妙にかっこよくなった。

前から楽しみにしていた約束が流れて激しく凹む。うーん。医者に言われた通り素直に寝てればいいのに、無性に寂しくなり仕事中のT.P.嬢を渋谷に誘い出してしまいました。携帯で馬鹿メールをやりとりしていたF.T.氏も呼んで、三人でベトナム料理屋で飲み&語り。こういう偶然が楽しいんだ。
 今日のF.T.氏はインタビュアーのようだった。二人がちゃんと話をしたのはまだ二度目くらいなのかな。些細な言葉やそのリアクションから、お互いの人物像を組み立てていく様子を端から観察。非常に興味深かったです。僕はもっと漠然と、オーラやグルーヴ感で人を見てるので。

T.P.嬢もF.T.氏も僕の新しい友達です。でも最近すごい頻度で会ってないか。ときどき10年来の友達のような錯覚に陥る。今日会う約束していた人は本当に10年来の友達で、でも最近はなかなかゆっくり話せない。何か大きな力で、自分や自分の人間関係が変化している時期なのかと思う。
 10年前に知り合った人も20年前に知り合った人も、こないだ知り合った君やあなたも出来れば一生の友達でいたい。でも重力の微妙な変化で、星団の融合みたいに、居心地のいい場所があっちに出来たりこっちに出来たりする。人間関係を長いスパンで俯瞰できる余裕が欲しいものです。ちっちゃなことで一喜一憂している場合ではない。

2月7日 ハチミツかクローバー

またしても実家のリフォームの打ち合わせ。不毛だ! 早く具体的な話がしたい。

劇団の後輩のN夫のお誘いで飲み。年末に再会したんだけどあの時はワイワイしてたからね、ということで3日連続で渋谷へ。
 待ち合わせ時間まで本屋を回って「ハチミツとクローバー」を探す。美大の学園生活を綴ったモラトリアム漫画です。アトリエに出入りする男女の友情が、愛情に変わりそうになったり結局もとに戻ったり。恋愛のスピードも創作のスピードもゆったりしていて、その空気感が懐かしくて切ない。それにしても劇団の友人を待ちながらハチクロを探す30男というのは如何なものか。

合流してお気に入りの居酒屋へ。劇団という特殊な環境を離れたみんなの「あれから」についてお喋り。
 2件目のビールバーでは、映画青年がダンディなおじさまと若い女性の二人組に話し掛ける様を観察した。「あなたはいい生き方をしている、目を見ればわかる」とかなんとか。人を目だけで判断してはいけません。その前に空気を読もうよ。顛末を確認してN夫との馬鹿話に戻り、他愛もないことでコロコロ笑う。楽しかった。でも彼が本当に話したかった話題とは違ったと思う。次につなげたかったんですよ。モラトリアムに浸るつもりはないが想い出にしたくもないという。まあそういう。

2月9日 空からヒマワリの種が

もし地震が起きてレコード棚が倒れてきた時、何のレコードに頭をぶつけて死ねれば本望かというのは、音楽好きにとって切実な問題です。「空手バカボン」にぶつかって死んだらそれまでの30年はなんだったのかと思う。
 というわけで倒れそうに積み上げられたCDラックを整理。このアルバムの隣にはこれがあって欲しい、みたいな思い入れってあるじゃん。自分なりの音楽地図を可視化する喜び。レコードは聴いてる時より並べてる時のほうが楽しい。

夜になってご近所のM美さんとお食事。僕の引越しが決まってから、ご近所に素敵な人がたくさん住んでいることに気づき、無念である。たぶんあと一ヶ月以上ここにいるんで、大田区民の皆さん仲よくしてください。
 住宅街にポツンと佇む中華料理屋さんは家族連れで大賑わい。窓際の席を確保してハムスターの話など。M美さんは長い腕で、あたりをキョロキョロするハムやびびってヘタっとなるハムの真似をする。笑った!

猫の話、音楽の話、日々の雑多な話。お互いに遅刻しぃだというのは意外な発見であった。我々も最初から遅刻する気などまるでなく、極めて前向きに仕度をするのであるが、出がけの数十分で予期せぬ準備不足が露呈し、結果としてやってしまうのだよ。本当に申し訳ないと思ってるんですよ。
 ゆったりとくだらない話ができて楽しかったな。M美さんも楽しかったならよい。今日は微妙にぎこちない瞬間もあったかと思うが、あと3回も会えばいい友達になれるよ。

2月12日 この声は小さすぎて、君の元までは届かない

ああ、またしても実家の修繕の打ち合わせ。今日は弟が同席して、勢いでザクザク決めていく様をあんぐりと眺める。担当氏は非常にいい人なんだけどちょっと要領が悪くて、僕は輪をかけて要領が悪いので、二人で話し合ってたら工事に入る前に消耗してたかも。

帰りに久しぶりにトキメキウクレレ教室へ。課題曲が「Raindrops Keep Fallin' On My Head」になってました。見たこともないコードばっかりで、しかも予期せぬ動きをする。Bacharachの頭の中はどうなっているのか。しかし普通に聴くと普通に可愛い曲だから不思議。練習してマスターしたい。
 もう一曲は「Pua Carnation」というハワイの歌。これが歌えるようになればかっこいいんだけど、ストロークが難しい上にガンガン転調しやがる。

ところで最近ご近所さんで、掲示板派とメール派の議論を見かけます。僕は圧倒的にメール派。メールには、授業中にメモを回すみたいな密やかな楽しみがある。掲示板は休み時間のお喋りだ。だからお喋りをする仲間、気の会うスモールサークルオブフレンズを維持するのが難しくて、結局はジャイアンに支配されてしまう。
 最近困っているのは、僕自身や僕のサイトが醸し出す空気と、僕の掲示板との間に温度差があること。そうすると掲示板の熱さに躊躇して、直接メールをくれる人が増える。そういう人達の紡ぎ出す言葉を僕は大好きで、それをわかちあいたくて掲示板をつけたんだけど、やっぱりジャイアン達に圧倒されてしまう。管理人には向いてないわ。

2月14日 悲しすぎて泣くことも忘れている人々に

若い頃から女にモテてきた男の想像力は犬以下である (ニーチェ)

2月15日 義理チョコの正しい受け取り方

S.K.氏主催の鍋パーティへ。すごい。16人くらい集まったのかな。オフネットではあゆみと呼んで欲しいY.Y.嬢と、知性派美形女子高生T.K.に義理としてのチョコレートを頂く。T.K.がみんなに「本命です」と言って渡していたのが可笑しかった。彼女はミューズとしてのスタンスを嫌味なく確立してしまったね。できればクールに受け取りたいものだが、こういう時の振舞いに男が問われるのだろう。

今夜のテーマはプログレ、ということで各自手持ちのプログレ音源を披露する。僕はあんまり得意分野じゃないんで、細野仕事やエレクトロニカを適当に流した。全然プログレじゃないが、ムネカタアキマサさんのかけた大工哲弘と、T.K.のかけたAtom Heartの変名ユニットに反応。
 あとはひたすらお喋りに熱中。木曜日・金曜日と精神的にものすごく沈んでたので、その反動が出てしまった。別室に移ってヒソヒソ恋愛トークなど。ええと、これは言っちゃってもいいのかな。このサイトを通じて、ついに一組のカップルが誕生しました。おめでとう。サイト主催者は何もいいことないがな!

終電で約半数が帰宅した後、僕がかなり面白いパフォーマンスを繰り広げたらしいのだが全く記憶にない。翌朝、写真を見せられてびっくりしたよ。関係者のみなさん、心からすみません。

2月18日 ただいま

実家の改装工事がやっと始まりました。生まれてから18になるまで住んで今は誰もいないこの部屋を、もう一度自分の居場所にします。一人で住むので小部屋を潰してゆったりしたパーティ向けの間取りにするつもり。みんな遊びに来てね。
 前の夜は僕と弟夫妻、そしてこの家の最後の住人だった母の犬がやってきて、ピザとケーキで最後の晩餐。チョコレートケーキ旨かった。

翌朝は10時から作業スタート。打ち合わせの段階では気づかなかったことも多くて、ちょくちょく通って話し合いながら進めて行くことになりそう。大変だー。部屋に残された雑貨類はほとんど処分したつもりだったのに、亡父のカセットラックから「ビーチボーイズ」と書かれた編集テープが出てきた。なにー。しかしなぜか美空ひばりが上書きされててがっかり。父の選ぶBeach Boysを聴いてみたかった。
 そう言えば引越しの時に電化製品や雑貨類がかなり余る予定。あと戸越台の区民プールの回数券。なんかクレーという方はメールください。

2月21日 and then there were three

体調悪。実家の改装の進捗を見なきゃなのに、ベッドに隠って寝返りを打つ気力もない。それでもカーネーションのワンマンと聞けば這ってでも行ぐ。
 3ピースになった彼らを見るのはこれが初めて。リズム隊がクリアになりました。でもリードギターとキーボードを失った煽りは、ボーカル・ギターの直枝政広さんに重くのしかかる。轟音ギターソロで盛り上げようとするんだけど、コード感が希薄になってあぶなっかしい瞬間も。客席からの「荒らくれてる!」の声にご満悦の様子で、そっち方面の展開を目指しているっぽいのだが、微妙にプログレてました。もっと薄く、一音を大切にしていった方が未来が開けそうな気がした。

終演後、同行のT.P.さんと、伝説のロックバーBYGにてロックとかロックとか人生とか人生について語る。僕も観察好きだけど、彼女も細かいとこ見てます。結論としては、お互いちょっと余計な痛みを知ってきたかもね。帰ってこい、天使だった頃の...。
 しっかしTom WaitsやらLeonard Cohenやらドス声ものばっかりかかりやがると思ったら、その筋のマニアが立て続けにリクエストを入れてた。こっちも対抗意識で薄味SSWや腰砕けソフトロックを入れてやった。DJさせバトル。リクエストを受けるお店のDJ氏も、僕らの無言の攻防に気がついて楽しんでくれた。終電を余裕で逃し、改装中の実家にお泊まり。むきだしの電気スイッチや崩れてきそうなパネルにビビりつつ、おやすみー。

2月22日 青春狂走曲

劇団の同窓会。本当は久しぶりの再会がいっぱいあるはずだったんだけど、直前になって体調不良者が続出して、結局は顔馴染みの4人でしっぽり飲む。メンバーは、昨年末に6年ぶりの再会を果たして以来、頻繁に飲んでいるN夫。そして今やOCM代表の相川くん。看板女優であらせられたI.M.嬢。I.M.嬢とは一年くらい前に一度だけ会ってる。でもこんなにいっぱい話したのは初めてかも。あの頃の僕は右も左もわからない新入りの裏方だったからね。スポットライトを浴びる彼女は眩しすぎて近寄れなかったのです。相変らず物腰の柔らかい素敵な女性だったので安心しました。

まずは近況報告など。真っ当なサラリーマンをしている人はやっぱり少なくて、欠席者も含め波乱万丈な人生っぷりに大笑い。転職を繰り返して、今は大手芸能プロダクションに勤めるN夫の話が圧倒的に面白い。うっかり焼酎のボトルを入れてしまい、懐かしい雰囲気におおいに酔っ払った。で、なぜかN夫が僕の暴露話をしたがるんだ。僕もつられてついつい喋ってしまう。最近どうも躁鬱のギャップが激しくて、楽しくなるとセーブがきかない。そして帰り道、みんなも楽しんでいたか心配になる。翌朝には激しく自己嫌悪。その繰り返しです。それでも会ってくれる人がいるから調子に乗る。

2月23日 終わりの季節

僕が愛読しているモラトリアム学園漫画、「ハチミツとクローバー」。新刊購入のために漫画専門店とおぼしきお店に入ったのですが。入店と同時に呼び止められ、手荷物はロッカーにお入れくださいと。自分が注意されてることに気づくまでに30秒はかかりすぎですか。ミラーに囲まれた店内にはコスプレした店員さんが闊歩し、アニメソングを熱唱していました。どうやら来る店を間違えた。

ハチクロの話でした。初期のエピソードに見られた、手のひらの中で収まる穏やかな世界感はなくなり、明らかにモラトリアムの終焉が近づいています。恋のスピードも創作への情熱も、彼らを取り巻く環境も爆発的に拡大して、みんなまぶしく逞しく成長してしていった。時が来れば幼い君も、大人になると気づかないまま、といった感じか。大学5年生の頃の一抹の寂しさを思い出した。僕はまだ、あの季節から抜けきれないでいる。

2月25日 strangers in the night

strange music pageのS.K.氏がいきなりやってきた。この人の行動はいつも唐突で、だから9.11事件直前のパキスタンで盲腸の手術を受けたりするのです。燃えないゴミとか出しっ放しの部屋にとりあえずお通しして、コンビニ弁当を食べつつ焼酎を飲む。家庭環境の話やサイト運営の話、菊地成孔氏の話、それにしてもヤン富田さんはなんで捕まらないんだろうとかそんな話をだらだらと。そして唐突に帰っていった。やっぱりストレンジな人だなー。

2月26日 「森の妖精」と呼ばれているモモンガ

弟夫妻宅でパーティがあったらしく、その残飯処理に呼ばれる。抗鬱剤を忘れ、冷や汗をかいたりドモったりした。話題もないのでずうっと聞きたかった弟夫妻の馴れ初め話を聞いてみました。うーん無難! 知り合ってから現在に至るまで、これといって事件も障害もなかったらしい。兄の半生をドラマ化したら、4クールぶち抜きで毎回泣かせ所を作れるぜ。

弟宅には犬もいるがモモンガもいる。「動物のお医者さん」ではモモンガは飼い難い生き物とされているけど、そんなこともなさそうだ。名前を呼ぶと小屋から出てきて、自分と同じくらいおっきいリンゴを食って、また小屋に帰っていった。こんな感じで10年ほど生きるそうです。コミュニケーションが取れてるような取れてないような微妙な距離感。それにしても誰か松本隆さんにモモンガとムササビは別の生き物だと教えてやってくれ。

2月28日 印税で食ってる訳じゃありませんので

思うところあってNo! CCCDマークを貼ってみました。CCCDに関する僕の考えは大雑把に2002年3月15日の日記から変わってません。まずはこっちを読んで欲しい。
 CCCDを一枚だけ持ってるけど、一般家庭の機器で聴くぶんには音質的には問題ないよ。CD発売当初の音質に比べたら全然許容範囲。だからCCCD問題の議論が音質問題にすり変わってるのは残念です。ところでCCCDを落としてCD-Rに焼き直すと、ジッターが減って音がよくなるという噂。もし本当ならコピー推奨仕様だ。

これは荒俣宏さんが言ってたんだけど、著作権という概念は印刷機というメディアと共に生まれて、たかだか数百年の歴史しかない。新しいメディアが登場したら、根底から考え直さなくちゃいけない。
 数年前までは「携帯のせいでCDが売れなくなった」と言われていたけど、携帯の普及率が落ち着いてもCDの売上げは落ちる一方なので、今度はコピーのせいにした。CCCDを導入してもたぶん売上げは回復しないので、数年後には新しい言い訳を考えるでしょう。そんな業界にリスナーが振り回されている状況こそ問題だと思う。音楽家たちの意見も聞いてみたい。