DIARY 2013年10月


10月4日 猛烈に、さむい

いま一日20時間くらいしか寝てないんで、忙しくて日記を書く暇がない (忙しくて日記を書く暇がない) 。

バンドでスタジオ入り → 成果があった
おじさん3人でカラオケ → 魔法起きた
My Bloody Valentineのライブ → 魂抜かれた
髪を真っ赤にした → やりすぎました
柴田聡子さんのライブ → ますますサイコー
レコーヨ買いすぎ → レコーヨ買いすぎ

みたいな話を、明日には日記にする気概がある。今年のFUJI ROCKレポートを書いてないことも認識してる。リマインダーが「スルーしたタスクが8件たまってる」って言ってる。うっさいわ!!

10月9日 side-A 空が高すぎる

寒さに震えて眼を覚まし、午後にはシャツで汗をかく。入道雲を見あげたら、金木犀を感知して、石焼き芋の声を聞く。秋ってそんなもんだっけ、秋ってそんなもんだっけ。いろいろおかしい、いろいろおかしい。
 家電ゴミの朝に並ぶ扇風機を眺めて帰ったり、湿気とアルコールで汗を吹きながら夜に這い出したり。今日のカレーは味気ないなと思ったら、カレーかけ忘れてるくらいには疲労困憊した。そんでなんにも成し遂げてないのが凄い。日記を書くのも億劫になってた。どこから手をつけていいかわかんないんで、まずは世の中で起きたことをまとめますね。

渋谷AXがなくなっちゃう。仮設建築みたいな外観だけど、もともとすぐに壊すつもりだったのかな。なんでかいつも、雨やら雪やら寒かった印象。Mick JonesがJoe Strummerの死の直前に共作してた。The Clashが殿堂入りするタイミングで、再結成も視野に入れてたかも。50年以上も前にBeatlesのライブ会場にファンが貼りつけたリールテープのメッセージを、Paul McCartneyが聴いて返事を出した。The Orbの2人が選んだ10曲のアンビエントトラック。彼らの懐の深さと広さ、いろんな音楽を自分の尺度で楽しむのも才能のひとつだなって最近思う。7歳のギタリストがブルースを奏でる。ギターの上手い子供はいっぱいいるけど、音楽を楽しんで発信してるところが好き。初音ミクを鼻歌とタイピングだけでリアルタイムに歌わせる。耳に入れて奥歯の振動で操作するプレイヤー。
 The PoguesのPhil Chevrが亡くなった。彼が加入した2ndアルバムはよく聴いた。

ヤマザキマリさんがとり・みきさんとの対談の中で、イタリアに長く暮らした経験から、日本のなあなあとした仕事の閉塞感について言葉にした。この話の断片が、おそらくなあなあにしないと都合が悪い人々に曲解されて、中傷にまで広がってるそうだ。一次ソースを読めばヤマザキさんの意図は伝わる。少なくとも、日本の同調圧力に翻弄されてる僕には伝わった (この話は8月1日の日記で) 。こまっちゃったのはこれ、日経BPに登録しないと読めないんだ。でで、弁護士さんが「友人として」記事にしてるんで、こっちを読んでください。
 オリンピック東京招致の問題点、葛西臨海公園の生態系保護について。ここで署名活動やってる。change.orgのテンションなんだかな、もっと冷静に働きかけないとさ。

13世紀に地球の環境を変えるくらいの大噴火があって、でもそれがどこの火山なのかまったくわかんなかったんだけど、ついに特定したみたい。googleマップにも載ってないくらいちっちゃい山だった。mixiが赤字に転落したそうで、いままで黒字経営だったのが奇跡というか、衰退の歴史をまとめたtogetterがあるよ。黒部ダムに直通する関係者用トンネルをトロッコで行くレポート、感動した。カップルの横に写り込む自分を淡々と掲載するブログ。クイックソートのアルゴリズムをフォークダンスにしてみた。
 未完の教会サグラダ・ファミリアが、なんと2026年に完成する予定。いままで131年かけて作った部分とこれからの13年を比べると、とても信じられない。もし実現したら、横浜駅より先に完成する。関東に住んでる人は「横浜駅いつも工事してる」って思ってるはず。1915年に今の場所に移転してから、1回も工事が終わったことがない。そもそもこの駅には最終形態って概念がないんじゃないか。

とりあえずこの状態でアップロードして、後で日記っぽいのを書きますね。待ってて、待ってて!!

10月9日 side-B 結局髪を真っ赤にした俺物語

遥か悠久の彼方およそ3億年前、具体的には9月28日にバンドでスタジオに入った。正統派ベーシストを目指すのは無謀だってそろそろ気づいたんで、ルーパーとちっちゃな楽器をいっぱい持って、荷造りをした時点で心が折れて、結局いつもの装備ででかけた。ゴロゴロ買おう。この日は成果があった。アイデアが形になって、この3人での創作のコツがだんだんわかってきた。前のスタジオから間があいてなかったのもよかった。ちょっとだけ未来が見えたんで記念写真を撮った。
 また荷物担いで変わり果てた姿で無言の帰宅。バンドやるのに必要なことはいっぱいあって、楽器を運ぶ体力ってすごく大事だな。歳をとると筋肉痛が◯日後に来るとか通り越して、この筋肉痛の根拠がわからない。で、ヘクショイは結成から3ヶ月間ずっと同じ3曲に頭抱えてた。演奏に完成はないけど、ありていに言えば飽きた。次は別のカバー曲とオリジナルの新曲をやりたい。でで、10月中旬に奄美諸島加計呂麻島に行くんで、加計呂麻在住のA.K.に一緒に曲を作ろうって一方的に話を持ちかけた。趣味嗜好も曲の作り方も人生の作り方もぜんぜん違う2人、化学反応が起きるかまるで形にならないか、どっちかだな。

その翌日、29日はおじさん3人でカラオケ大会 (ノスタルジー禁止) 。いや、いやいや女子にもいっぱい声掛けたんだよ。その結果こうなったんだよ。
 楽しいカラオケだった。ここに女子がいたならみんなおじさんに惚れたのに、女子がいないからこその本気を見た。音楽好きって前提があると、カラオケボックスでも魔法は起きる。歌い慣れた曲よりも連歌みたいに、DJみたいに選曲していった。たいがい諄いが次は女子と行きたい。

家ではひたすらレコーヨ聴いてる。ヴァイナル聴いてる。透明な梱包テープを発明した人の存在感が、限りなく透明に近づきますように!! ジャケ買いしても痛くないお値段なんで、なかなか冒険してる。針が降りる瞬間の、胸の鼓動を焼きつけろ。合成ダイヤモンドだねー。で、フリージャズのフリーダムすぎる部分が20分続いて朝からげんなりした。
 CD業界では「初回限定盤」ってのが流行ったけど、最近新譜のデラックスバージョンが半年後に出るパターン増えたね。あんまり阿漕なのはおじさん好きじゃない。

「あまちゃん」ってドラマが終わった。結局一度もリアルタイムで観ることはなかった。DVD借りて後追いで観るつもりだけど、かつてエヴァンゲリオン乗り遅れてビデオで観るつもりで早18年の僕だ。もうラストシーンまでタイムラインで語り尽くされちゃったしな。「あまちゃん」の盛りあがり方は、SNSと密接だったと思う。家族みんなでおんなじブラウン管を観てた感覚、いつのまにか一人で観るものになってつまんなくなっちゃったテレビの醍醐味を、tweetのネタにしやすいドラマを介して取り戻したみたいな。いや一度も観ないで憶測だけで書いてますけど。twitterやネットの外の世界も知りませんけど。
 宮藤官九郎インタビュー「あまちゃん」への思い。もうひとつ、ひとりアカペラでオープニングテーマ、中の人は清水ミチコ、イラスト山本直樹。女優として色がつきすぎちゃった能年玲奈さんの今後が心配。朝ドラ女優の例に倣ってひっそり消えて、一般男性 (僕) と結婚したって話がスポーツ新聞の片隅に載りそう。あんまり贅沢はさせてやれないけど、幸せにします。

菅野カズシゲさんに、ウクレレ ネコネコにしてもらった。超いけてる。これ持って加計呂麻島に行く。

10月10日 音の粒子

my bloody valentineのライブ、完璧に魂抜かれた。人生観変わるくらいの体験をした。2008年にFUJI ROCKで観た復活ライブもびっくりだったけど、あれからステージを重ねて機材と人材を一新して、会場の電圧を上げてまで臨んだ今回のライブは、バンドがずっと鳴らしたかった音と叶えたかったヴィジョンが見えた。

フロントアクトは相対性理論。リズム隊が抜けてサポートが入った編成は、真っ当になった≒ライブバンドとしての魔法は消えちゃったのかな。やくしまるえつこさんはいい意味で歌が上手くなったし、永井聖一さんのコード感の希薄なギターは相変わらず狂ってた。でも演奏の相性はパズルのピースみたいなもんで、喪失を埋めてしっくりくる居場所を模索しないとだね。それにしても客層がお洒落で、隣で独りで観てる女の子かわいいなって思ってたら途中から男が来て、足踏んづけるわよく喋るわスマホぴかってするわ。なんだろう、片桐仁みたいなのがイケメンって風潮!!
 30分の休憩時間はステージ一面にアンプを積み上げるため。my bloody valentine登場。1曲目の「Sometimes」が始まった時は音小さいな、耳栓が配られたのはネタみたいなもんかなって思ってた。2曲目の「I Only Said」でガッと大きくなって、エンディングに向けてどんどん音圧があがっていった。そういえば今年リリースされた「mbv」もそんな構成だった。

轟音の中に座ってると、どんどんどんどん孤独になってく。音の渦の中に入り込んでく。やがて骨格を見せるリズム、色を変えていく音色、そして揺らぎ。つまりは寝落ちそうに気持ちよかった。エフェクターやPAを駆使して創りだされた深みと奥行き、映画「2001年宇宙の旅」のラストシーンで眩いばかりの光に包まれるみたいに、喜びに満ちた臨死体験だった。
 「mbv」のハイライト「wonder 2」で最初のピークエクスペリエンス。キャッチーなシングル曲を並べて、エポックメイキング的な名曲「You Made Me Realise」になだれ込む。この曲にはノイズビットと呼ばれる10分以上に渡る音の洪水が待ち受けてて、この日は128dbを記録したそうだ。ジェットエンジンの間近よりももっとうるさい。その中にあっても極めて緻密に内省的に音色がコントロールされて、孤独の歓びに導かれていく。
 途中で立ちあがる人は誰もいなかった。圧倒的な音質と音圧に身動きできなかった。体中に音の波が通過する感覚に浸ってた。それは「盛りあがり」とか「一体感」とは対極の、ライブパフォーマンスのひとつの可能性だった。すべての演目が終わって沈黙、やっと立ちあがって大きな拍手が起きた。遠い耳鳴りの中で、もうしばらく誰とも話したくなかった。亡霊のように帰っていく人達。やがて雨が降り始めた。久しぶりの雨だから、いつもより雨の匂いだった。

10月11日 LIVE LIFE LIVE

2日は柴田聡子さんのライブ。彼女は観るたびに変貌して進化していく。この日はギターの音が気持ち良い、新しいギターを弾く歓びが静かなグルーヴを呼んだ。そうして明らかになっていくのが言葉の力っていうのも面白い。連鎖していくイメージと感情の流れ、押韻の言葉遊びの巧みさ。ギターの音色とグルーヴに導かれて伝わってくるのは、音が言葉を、言葉が音を呼ぶ誠実な曲作りをしてるってことだ。
 もともと映像作品を作っていた柴田さん、11月には演劇的な要素を取り入れたパフォーマンス「たのもしいむすめ」を上演する。タイトル秀逸。楽しみだ!!

8日はControversial Sparkのボーカル・ギター、konoreさんのライブ。ソロでどんな音を奏でるのか知らなかった。エッジが利いてて、でも親しみやすくてすぐに飲み込まれた。バースごとに噛みしめるように間合いを取って、次の情景へと導いていく。エレピのアイデアに溢れたアレンジメント、でもアコギに持ち替えてからますますいい。丁寧で好きな演奏。そして歌!! たぶん意図的に隙を見せて、そこから感情が吹き出してくる。本人は弾けすぎって言ってた「チャイニーズバター」、日本のロックの新しい扉開いた感ある。
 終演後に少しお喋りした。ロックに目覚めたのはt.A.T.u.がミュージックステーションをドタキャンして、代わりにMICHELLE GUN ELEPHANTが演奏した時なんだって。t.A.T.u.が音楽の世界に残した一番の功績かも。柴田聡子さんもkonoreさんもアートスクール系だな。写真右から2人めがkonoreさん、一番左は渋谷guestのコバカツさん。僕は前に座らされて、オイ!! 後ろがこんなんなってるとは気づかなかったぞ。

これから観に行くライブ...まずは朝霧JAM。Mala In Cuba → Swindle → Hanggai → clammbon → Beth Orton → The Trojansあたりかな。16歳にしてヘッドライナーのThe Strypesは観れなそう。
 Paul McCartney。71歳で現役感溢れるレジェンドを一度は観てみたい。泣くかも知れん。で、例の「たのもしいむすめ」、久しぶりの笹生実久さん、Banda Forro Legal。年明けてBlur。もしも、もしもいつか「若かったあの頃」を振り返る時がくるなら、こんな音と共にあるかもしんないな。嬉しい来日情報はHAIM、Toro Y Moi、of Montreal。

こないだバンドメイトと話したのは、スタジオにはおじさんいっぱいいるのに、若いバンドのライブにぜんぜん来ないよねってこと。音楽が好きで自分でも演奏するなら、新しい音を心が渇望するはずだろ。で、71歳のPaul McCartneyに10代のファンがいっぱいついてるのは素敵だ。何度も言ってるけど、5万年前に骨を叩いた祖先のグルーヴと、いま輝いてるグルーヴの間になんの断絶もない。
 もうひとつ、今日のいいtweet。「音が生理的に受け付けなかろうと、他人の嗜好を「ボカロ (笑) 」などと揶揄する人間は「ロックは不良の歌」とか言っていた老人と同じメンタルを持っているのだと自覚して欲しい」(ダ・ダ・恐山) ほんとそうなんです、ほんとそうなんです。

たぶん僕、物心ついたの30くらいの時だ。

ねよっと。

10月15日 気温30度の中を疾走する石焼き芋

を見かけたかと思えばいま現在、台風で猛烈に寒い。10年に一度の台風は10年に一度の新人のようで、人生に一度の恋のようだ。

朝霧JAMに行ってきた。8:41の電車で向かうはずの僕が起きたのは11:30であった。新富士駅からシャトルバスが出発するのが11:00。その時現地でどんなやりとりがあったのかは敢えて考えない。電車を乗り継いで西村京太郎の仕掛ける数々のトラップをかわす姿はインディージョーンズだったと思う。で、会場に着いた頃には陽も暮れていた。
 最初に観たのはMala、去年のわたし的レコード大賞最優秀賞おめでとうございますのダブステップ裏番長。アルバムに忠実な演奏でちょっと退屈だった (´-`) .。oO 続いてSwindle、人脈的にはMalaの弟分なんだけど、こっちをトリに持ってきたのは正解。ダンス仕様で行きあたりばったり、これぞライブ感だった。この日観たのは2組だけ。寝坊したからな!! 僕が寝てた頃に仲間が立ててくれたテントにごろり。隣のテントから「DAYONE」が音漏れしてきて衝撃受けた。

2日目はモンゴルのバンド、Hanggaiから。ホーメイや馬頭琴に耳がいくけど、そういう要素を巧みに消化して、ちゃんとかっこいいポップロックバンドだった。一番の魅力はボーカルで、地勢的にも文化的にも遠くに届く声が求められて、何万年もかけてできあがっただろう発声が、胸の奥まで染みこんできた。Reggaelation IndependAnce...を観たのかな僕は。完璧に寝落ちてた。寝る子は育つ。clammbon...何度も言ってるけど、彼らは遊び心と気骨の融合に成功した稀有なバンドで、郁子さんが素敵すぎてゆるふわなイメージを持たれてるのが残念でならない。郁子は強いよ。そんで誰がフロントってこともない理想的なスリーピースバンドだよ。セットリスト変わっても、インストの「KANADE Dance」をはずさないところに本質に近いヒントが隠れてる。
 続くBeth Ortonはリラックスした演奏。アコギ1本でルーズに歌う。音楽的な基礎体力の強さを見た。そしてThe Trojans、スカをベースにしたミクスチャーバンド。人種も性別も世代も超えて世界のルーツミュージックを奏でるんだけど、発想が枯れてない、切り口が新しいんだよ。いまはいい意味で枯れてるRy Cooderがもっと攻めてた頃、あの切れ味で2013年を躍らせるならこんな音になるのかも知れない。サムサムの中、グルーヴの手のひらの上で汗だくになった!!
 雰囲気はこんな感じ。早朝のテント村朝の光景 (横向きですみません) 、夕暮れのフィールド夜のサウンドチェック

テント村のごはんや雑貨もフェスの楽しみ。かわいい店員さんに「わっかわいい!! これ着こなせるオトコノコいないよー」って言われて調子に乗って服を買った。俺41歳だしかわいいのはお前なので。フジヤマは意外と小さいんだけど、霊峰たる風格に圧倒された。鳥の声を聞きながら朝もやの空気を吸って、固形燃料で入れるお茶の時間。俺圧倒的にインドア派だけどさ、生物としてのバランスが欲してるのかな、多幸感で叫びだしそうになった。
 そんなインドアな僕が今度は奄美諸島 加計呂麻島に行く。奄美空港から友の住む集落まで一日じゃたどり着けないんで、16日に前乗りで羽田のカプセルホテル、17日は奄美大島の名瀬にいる予定。名瀬で暇してるガール、遊んでください。早く日記を切りあげて、準備しないとやばい。できないできないできない!! 川本真琴さんは男心の掴み方を完璧に把握してたし掴まれましたよね。準備、しますね。一番の心配は、生まれて初めてひとりで飛行機に乗ることだ。チェックイン? マイルが貯まる? タッチアンドゴー? 保安検査? こわいこわい。ネット環境がよければ現地から日記書くかもだし、Instagramやtwitterに写真をあげるかも。

古代の芸術家は大半が女性だったって説がある。ミューズの誕生。

iPhoneのSPAMが手に負えないレベルになって、アドレス変えた。でもパソコンから転送してるんで、いままで通りパソコンのアドレスに送ってください。なんならDMでもメンションでも。

やなせたかし氏逝去。僕が幼児だった35年前には「あんぱんまん」は既にいけてない雰囲気があり、その後の再ブレークもまったく理解の外にあるけど、やなせさんが時折表明する社会や人間への考えには感銘をうけたし、「手のひらを太陽に」は本当に素晴らしい歌だ。って感じよ僕とやなせさん。

10月19日 夜の海を走って月をみた

奄美群島 加計呂麻島に来てる。猫と暮らしてたり体調に不安があって、なかなか旅にでない僕だが、A.K.の住む島にどうしても行きたかったのだ。

本州を出たのは21年ぶり、初めて独りで飛行機に乗った。早起きに自信がなかったんで羽田に前乗り、どう考えても安すぎるカプセルホテルはソープ街の真ん中に鎮座し、酔っぱらいがロッカーと喧嘩してるしロゴマークがなるとだしの素敵物件だった。
 京急で空港へ。チェックインとか保安検査とかタッチアンドゴーとかマイルが貯まるとか難しいタームに挑み、無残に敗北。受付の綺麗なお姉さんと頓珍漢なやり取りして、「えっもしかしてこういうの初めて?」って感じになった。飛行機こわい。PASMOでぴっと乗れるようにするべき。

A.K.が空港まで迎えに着てくれた。彼の住む集落からはそうとう遠いはず。ありがたい。ってことは、彼の集落に向かうには半日がかりの大事業。まずは鶏飯っていう、鶏出汁のお茶漬けを食べた。美味いわ!! バスの待合室で声をかけてくれたおじいちゃんは、インターネッツを駆使して世界の海をダイヴする超アクティブガイだった。76歳。かっこええ。
 陽も暮れて、加計呂麻島に渡る小さな船に乗る。風が気持ちいい。広い空と水平線、気がつけば十四夜の大きな月が、光の道筋を作ってる。島の方々と合流してお酒、ふっと海に行こうかって浜辺に出たら、完全に月明かりだけで向こうの島が見えるくらい明るい。そして砂に落ちる自分の月影。もうね、言葉にならない。

飲みの夜にウクレレを弾いたら、コードすら忘れて酷い有り様だったんで、きのうは海の見える木陰でレレ練した。その姿はまるでスナフキンのようだった!! と妄想してる。
 夜はA.K.が薪ストーブで作ったパスタを食った。美味いわ!! 集落の住人は15人。もちろんみんなよく知ってる。よそ者の僕がこんにちはーって声かけるとびっくりされる。島の言葉でびっくりした時「ハゲー」って言う。この島において僕はハゲで髪が赤い。そんな島の写真はtwitterinstagramに大量にあげて、いずれこのサイトでも紹介します。動画もある。浜に打ち寄せる波と、食事のしたく。リゾート開発も遠く及ばない原生林、ひとっこひとりいない海、突き抜けるような青空、とにかく全てに感動してる。

twitterで知ったちょっといい話。とある英語教師がLの発音を教えるために、「Love」や「Cloud」って単語を使ったんだけどぜんぜん上達してくれない。で、「Lux Super Rich」で練習したらLもRも瞬時に改善したらしい。

10月20日 アジアの純真

この国では面白い人、たいてい社会の隅っこでおとなしくしてるね.。oO

加計呂麻島 楽しんでる。きのうは島の有志が企画した、素敵なライブイベントに行ってきた。10月なのに子供が海で遊んでる。どこかでみたこの光景、「島で随一の商店」の佇まいや誰もいない集落の「メインストリート」、そして海に向かって走る子供たち。「天然コケッコー」の世界だわ。これが日本の原風景のひとつなんだろう。
 奄美大島は普通の田舎かなって思う。加計呂麻島に渡ると異世界に来たような錯覚に陥る。思い返すにこうして砂浜で海を眺めるのも数年ぶりだ。水の中の惑星。感激したもの全部写真に撮ってたらきりないわ。
 そんな子供たちに妙に懐かれた。昔からなんでか女児に懐かれるんだけど、お前らがいい女になるのは15年後だし、15年後には避けられんの俺知ってる。

イベントの前半は地元のセミプロの方々が出演するって聞いてたんだけど、東京のライブハウスでもなかなかお眼にかかれない素敵な演奏ばっかり。聴き惚れた。そしてメインアクトの一人、内橋和久さん。イベントのピースな空気を保ちながらもアブストラクトな音響の風景を描き出す。内橋さんのギターって山本精一さんやJim O'rourkeの世界にも通じて、音楽に対してものすごく誠実な方なんだろうなって思う。
 その内橋さんをバンマスに、トリのUAバンドが登場。なんだかステージの前に空間ができて、皆さん座って聴いている。その真ん中に踊りながら出ていって、「おいでおいで」のジェスチャーしてみた。みんなが乗ってくれなかったらとんだピエロだけどさ、ますます楽しい雰囲気になってよかったと (主観的に) 思ってる。最後はマイムマイムに突入。ステージを飛び降りたUAさんが飛びついてきて、一緒に踊った。はーここでまたこんなイベントを開いてくれるなら、ヘクショイでぜひ出させて頂きたい。

祭りの後は焚き火とギターガールを囲んでお喋り。
 シタール奏者のヨシダダイキチさんのお話が素敵だった。ヨシダさんはインド音楽には畏怖の念があって、それを商売にするつもりはないと仰る。自分にできることは、違った音楽を融合することなんじゃないかって。東洋音楽と西洋音楽の融合を試してる人はいっぱいいる。でもアジアの音楽ってメロディーとリズムじゃなくて、節 (ふし) と間 (ま) で出来てる。その素晴らしさを活かすには、Asia meets Asiaな音楽をやりたい。そうすることで、アジアっていう地域の中での日本の位置がみえてくるんじゃないかって。

そのまま会場に泊まって翌朝は撤収。皆さんにお世話になりっぱなしで、僕も撤収作業にくわわりたかったんだけど、どうしていいかわからなかった小学校のキャンプの想い出。
 加計呂麻島には素敵な女性がたくさんいる。波瀾万丈の人生の果てにこの島に辿り着いたような。今日までにここで出会ったURLのわかる方々。イベントの主催者5 mileさん。手作りジャムと保存食の通販かけろまの森さん。作家のM.A.さん。奄美大島の雑貨屋Waltzさん。そんでなんたって我がバンドメイトのA.K.。A.K.の猫、楽太郎もだんだん心を開いて、ふと気がつくと近くで寛いでる。世界は女の子と猫と音楽でできている。

10月25日 side-A 月と時計

加計呂麻島の滞在の記憶と記録。
 20日の夜はA.K.と一緒に歌を書いた。「加計呂麻島で一緒に曲を作ろう」って一方的に話をもちかけてたんだ。一週間もあればそんなタイミングもあるだろ、と思ってたらいやいや今夜しか時間ないわ。お酒も入ってなくて音楽が自然に湧き出づる感じでもなかったんだけど、いざ作ってみたらできちゃったねー、なかなかいいのが。どこをどっちが書いたでもなく、アイデアを重ねてくみたいに全編を一緒に作った。
 できたての歌、覚えてないままの危ういテイクを公開した。作曲の過程が残ってたんでそれも公開した。

21日はかけろまの森の花田さんのご好意で島を半周。A.K.が忙しいのと足がないんで、それまで嘉入集落でぼんやりしてたの。それは素敵な体験だったけど、この島巡りがなければそれまでだった。どうしても行きたかったのは安脚場戦跡公園。旧日本軍の要塞があって、連合艦隊の泊地として戦艦大和も立ち寄った。交戦で戦死者も出ている。代理店にパラダイス化された沖縄にも悲しい歴史があるように、いまは穏やかなこの島にもそんな歴史がある。
 で。重かった...。もっと公園の展示物として整備されてるかと思ったら、コンクリートの塊がそのまま森に朽ち果てようとしていた。ここに集まったたくさんの兵士たち、命を落とした人たちの存在が想像できないだけに、現状を生々しく感じた。もうひとつ、呑之浦の特攻艇震洋の基地。これがしょぼいの。零式や隼、回天あたりは有名だけど、6197隻が量産されたこの名もない特攻兵器はベニアで出来てんの。ベニアの船に爆弾つんで突っ込んっだの。そんなんで勝てるわけないだろ。おおよその特攻兵器は実用性というより、「兵隊さんが命を捨ててお国を守ってるんだからお前も我慢しろ」っていう同調圧力のキャンペーンだと思う。それくらい麻痺してるし、麻痺させやすい国民性なのかも知れない。
 この島には「私アメリカ生まれ」って笑うおばあちゃんがいる。本土復帰前に生まれたって意味だ。薩摩藩や琉球の圧政を受けて戦争に巻き込まれた事実が、静かにしかし確かに、この島の人々の精神性を形成している。

楽しいところもたくさん観た。ひとつひとつ違った景色を見せる集落と浜辺。諸鈍のデイゴ並木、於斉の巨大なガジュマル、珊瑚に輝く徳浜の海辺。塩こうばには美しい女性がいた。南の島に白いワンピースと文系眼鏡、反則だろ。海の水を汲んできて登り窯で煮詰めた塩は、ほんのりと甘みがした。そして加計呂麻島で一番美しい浜 (わたし調べ) (動画) 。
 その日の夜はM.A.さんを招いて、加計呂麻島最後の夜をお酒で締めた。限界集落の直面する現実と、そうなってしまったスパイラルについて。ヒトという生物の群れの形と愛情について。家主のA.K.は久しぶりの眠りに就いて、M.A.さんと二人、縁側で月の光を浴びながら5時頃までお喋りしたのかな。A.K.家の猫、楽太郎は人には懐かないらしい。手懐けた。ちょろい。

22日は奄美大島へ。バスの車窓が右に左に、谷の間に間に遠ざかっていく嘉入集落。そして山を越えて浮かんでくる瀬相港。もうここを離なくちゃいけないのだ。大きな溜息がでた。桟橋でM.A.さんともお別れ、そして船は行く (動画) 。
 奄美大島でお世話になったのは、カヤックでガイドをしている海辺のさんぽ社の柳澤大雅 (たいが) さん。海を楽しみながら、映画や音楽、地学や文化人類学にも精通している引き出しの豊富な方。Pierre Barouhのツアーをガイドしたとき、助手席に座るBarouhがカーステレオに合わせて歌うのを聴いたって話には悶絶した!! 次は酒を交わしてじっくりお話したい。まずは古仁屋港の魚屋の店先で海鮮丼、美味いに決まってる。ケースに並ぶ魚の色からして違う。荒波に揉まれて丸い石が並ぶホノホシ海岸 (動画) には研ナオコもきたっぽい (写真) 。そして元ちとせの故郷 嘉徳集落へ。ちょっと前までジムニーでしか行けなかった陸の孤島、いまでも充分に冒険だった。この集落から2時間くらい川を登ると、国土地理院の地図にも載ってない立派な滝があるそうだ。いまでも日本国が把握してない土地ってことだよ。この集落で廃校になった小学校をアトリエにしている画家、堀晃さんとの出会いは、この旅を締めくくるに相応しい、人生を変える体験だった。この話は別の日記にまとめるね。

奄美大島で最大の町、名瀬の大都会ぶりに困惑するくらいには感覚麻痺してた。いやどっちが麻痺なのか。シマ唄とシマ料理が楽しめる「かずみ」で飲み。隣のおっちゃんと気さくに喋る雰囲気も楽しく、料理も酒ももちろん美味しく、何よりもシマ唄に聴き惚れた。裏声を駆使した胸を縛りつけるような歌声と三線の響き、かと思えば太鼓を叩いてみんなで踊る。厨房のおばちゃんも踊る。なんでか僕もまざってる。
 ついに帰郷。寒い (´-`) .。oO そして猫との再会おんおん。1週間ぶりの東京の人々は、眼が死んでるか苛立ってた。住んでると気づかないことがある。僕が首都高速の側に生まれ育ち、常にタイヤの摩擦音を聞いて暮らしていたことを、家を離れて初めて気がついたみたいに。
 映画のCMでさ、試写会を観た観客が「普段は映画を観ないけど面白かったです!!」みたいなの、普段映画を観ない層を開拓したい意図はわかるんだけど、あまりにも説得力ない。それとおんなじように、旅慣れない僕が加計呂麻島は素晴らしいって言っても伝わらないのはわかってる。でも素晴らしいんだ。ってことを、堀晃さんの言葉を借りながら次の日記でなんとか言葉にします。

10月25日 side-B 美はすみやかにやってくる -加計呂麻島と人生の分岐点について

加計呂麻島への旅は、価値観や人生を次のステージに連れてってくれる体験だった。すべてが奇跡的なタイミングで噛み合った。みなさん行ってみるといい。どうしても行けない人、行っても感じ取れない人もいると思う。むしろこの島を訪れて、ましてや住もうとする人の方がマイノリティで。

旅の最後に出会ったのは、本土と奄美を行き来している画家の堀晃さん。彼が住むのは奄美でも特に辺鄙な嘉徳っていう集落。元ちとせさんが生まれ育ったところだ。廃校になった小さな小学校をアトリエにして、内地と行き来してる堀さん、画家としてのA.K.に関心があるという。引きあわせた柳澤大雅さんの見計らう時期もぴったりだった。そして偶然だけど、同席させて貰った僕にもぴったりだった。
 「ダイジェストにするなよ」って堀さんに苦笑されそうだけど、一言にまとめるならば、肖像画家・A.K.が画家・A.K.に転身する瞬間に立ち会った。画家になるってこういうことかって。工芸品の肖像画と表現物の絵画はどう違うのか。ヒトという生き物の群れの中で、表現者がなんで必要なのか。世界中に絵画や音楽は存在する。文化も気候も違っても、ホモ・サピエンスがホモ・サピエンスとして暮らすうえで同時多発的に発明されたんだ。堀さんはものすごくストレートにものすごく軽妙に、A.K.の迷走と矛盾を指摘した。A.K.はそれに興奮して、眼の前でどんどん意識が変わっていくのがわかった。堀さんは、「また一人の若者を路頭に迷わせてやった」って悪戯っぽく笑った。でも「路頭に迷えよ」っていうのが堀さんの、表現者としてヒトとしてのメッセージだったと思う。

で、堀さんの話はヒトの話なんだから、とうぜん僕の話でもあった。古くから読んでくださってる方はご存知と思うけど、僕は重度の鬱病で独り閉じこもって、いまより30kgも太ってた。変わった大きなきっかけは、東日本大震災があってすぐに福島の被災地を訪ねたこと。行く前日に誘ってくれた津田大介さんには本当に感謝してる。いまでも向精神薬を飲んでるけど、頻繁に外出して体重もみるみる落ちて、自分で言うのもなんだけど眼に精気が戻ってきた。そのタイミングで加計呂麻島と、堀さんの言葉に出会った。トンネルの出口が見えたいまの流れを逃さずに行くよ。

A.K.が最近まで、肖像画家として生きることに迷いがなかったみたいに、計画した通りに人生が進む訳じゃない。模索することだ。路頭に迷うことだ。そのプロセスと迷走に価値がある。美はすみやかにやってくる (ジャン・コクトー) 。なにが「確か」なのか「確か」めてるうちに美はやってきて、去っていく。踏み出さないと路頭に迷えない。バンドやDJは、僕なりの一歩なのかも知れない。僕がやりたいのは世界中の素敵な音楽を紹介することで、その手段がなんなのか、とりあえず片っ端から試してるよ。

加計呂麻島の素晴らしさは、沖縄のアー写みたいに一枚ぺろっと見せて伝わるもんじゃない。A.K.は「日本のムーミン谷」って言った。路頭に迷ってる人が偶然に導かれてこの島に辿り着き、ある者は住み着いてある者は次の路頭へ旅立っていく。
 それができるのは、この島が侵略や圧政や戦争や貧困を経て、金銭とは別の互助のあり方をいまも続けてるからだ。この島では、日本にあって貨幣がほとんど流通していない。つまりは物々交換であったり、親切をされたら親切で返したり、施しを受けたら施しで返したり、それが「経世済民=経済」なんだ。居候にもほんとうに親身でびっくりした。そうしないと、この島では生き残れなかったんだと思う。

島の方々の精神性と価値観は、日本がどこかで間違えた道の、別の可能性を示しているように感じた。昔に戻ることがいいことだとは決して思わない。でもヒトという生物の群れのあり方には違った進化の仕方もあったのではないか。そんなおおらかさが、波乱の人生の末に島に辿り着いたIターンの人々にも共鳴して、住み着く人もでてくる。
 「何人か知っている変わり者がいずれもおそろしく歳を取らない人々であることから逆算して考えるに、我々を老化させているのは「同調」なんではなかろうか (小田嶋隆) 」。僕も歳相応に見られることはない。そういう人を目指しているし、そういう人を魅力的だと思う。加計呂麻島で出会った人々はみんな若々しい。島のスピリットが伝わってきた旅。僕は動く。

そんでA.K.に言いたいのは、髪ぼさぼさにも程があるからはよ切れってことだ。

10月31日 もっとはじっこ歩きなさいよ -walk on the wild side-

シャツが裏返しなのは気づいてるから誰にも気づかれずに着替えポイントにつきたい。

Lou Reedが亡くなった。享年71歳。David Bowieが、「Velvet Undergroundのレコードは殆ど売れなかったけど、買った人はみんな楽器を手にしたんだ」みたいなこと言ったでしょう。Lou Reedの音楽がロック、特にパンクやオルタナティブって概念に与えた影響は計り知れない。
 好きなアルバムはVUの3rdと「Berlin」と「New York」と「Songs For Drella」。2004年のFUJI ROCKはかぶりつきで観た。ヘッドライナーなのにポエトリーリーディングを挟んだ、静かで深みのあるステージだった。で、VUではJohn Cale派なのだよ実は。そのJohn Caleが追悼メッセージを発表した。David Byrneのコメントもいい。これからはmild sideを歩いてください。
 Old Rockの話を続けると、Ono YokoがBeatlesの解散を巡るPaul McCartneyの証言に感謝を表明した。Brian WilsonがBeach Boysの再結成劇について語った。Jeff Beckと制作してる新作は2/3まで完成してるそうだ。

加計呂麻島を離れて1週間、奄美ロス=いわゆるあまロスに陥ってる。海や山や空気や夜が恋しいのはもちろんだけど、時間が恋しい。この街で電車に乗ってる人々はおおよそ眼が焦り怒っている。僕のペースが人と違うのは昔から。だからこそ外的な要因で予定が狂うのは大きなストレスになる。僕は人が思ってるより幸せに暮らしてる。不幸に見えてないだろうか、穏やかな眼の老人になれるだろうか。

Perfumeの新譜に「だいじょばない」って曲があってびっくりした。何年も前からA仔さんが使ってた造語だから。海外のミュージシャンの来日公演をファンが支援するWebサービスが始まった。ヤカンのお湯が沸いた時にピーって鳴る仕組み、100年も謎だったんだけどついに解明された。イエティの正体はクマかもしれない。
 ずっと紹介してた、風営法問題と踊る歓びを追ったドキュメント映画、「SAVE the club NOON」の公開が決まった。東京渋谷アップリンクにて11月30日から、大阪第七藝術劇場にて12月21日から、愛知名古屋シネマテークにて1月2日から。

で。もう半年くらいお休みしてたUstreamやるよ。その間に聴いた素敵な新譜を紹介する。3日21時から邦楽を、10日21時と17日21時から洋楽を、24日22時からBeach Boysの素敵なBOX SETからお薦めの音源を。
 でで。11月9日に武蔵小山Janie JonesさんでDJするよ。この日のテーマはアナログの練習。自宅で練習できないんで、Janie Jonesさんの機材をお借りして公開練習する。よちよち歩きのおじさんを観にきてください (写真はイメージです) 。